経済の規模が拡大することを、経済成長という。国の経済規模は、GDP(国内総生産)(「GDP(国内総生産)」参照)の大きさで表される。






1. 経済成長の要因

 経済成長の3大要因として、資本ストックの増大、労働力供給の増大、技術進歩があげられる。日本の戦後の高度経済成長を支えたのは、(1)高い貯蓄率を源泉とする民間設備投資の拡大、(2)第1次産業から第2次産業への大量の労働人口移動や高い人口増加率による質の高い豊富な労働力の供給、(3)積極的な海外技術の導入とその改良による生産性の向上、であった。

2. 景気循環図1

 自由主義経済の活動には、好況、後退、不況、回復という循環的な変動がみられる。好況期には消費や投資が増え、企業は雇用を増やす。そして、商品の売れ行きがのびて物価は上昇する傾向がある。企業は更に生産を拡大しようと機械・設備を拡張する。しかし、好況が続くうちに機械・設備が過剰となり、商品の売れ残りが発生して景気の後退が始まり不況にいたる。不況期には生産が縮小し、雇用が減少して失業者が発生し、企業倒産も増える。また、企業収益の悪化で家計の所得ひいては家計支出が減少し、モノが売れなくなり物価が下がる。しかしその後、過剰な機械・設備や売れ残り商品は徐々に整理されて、再び生産や消費が立ち直り、景気は回復していく。このような変動を景気循環という。

3. 我が国の経済成長

 我が国の経済成長の推移を、各年代ごとに年平均伸び率でみると次のとおりである(図2)。
(1)60年代はほぼ10%を超える高度成長を達成した。
(2)70年代は2度のオイルショックを経験し、74年には一時マイナス成長に転じたが、それでも事後的に見ると70年代前半で5.7%、後半で4.2%の成長となった。
(3)80年代は前半が3.4%、後半はバブル景気により4.8%の成長となった。
(4)90年代はバブル崩壊「バブルの発生と崩壊」参照)の影響を受け1.1%の低成長となった。この間、97、98年には戦後初の2年連続マイナス成長を記録し、99年には前年からの過去最大の緊急経済対策金融再生のための公的資金枠確保などの対策が講じられたが、0.5%のプラス成長にとどまった。

4. 90年代の停滞要因

 90年代の我が国経済の停滞については、次の要因が指摘されている。
(1)バブル景気の崩壊に伴って資産デフレが予想以上に深刻化したこと。株価・地価が最高値の半分程度まで下落したため、バランスシートの改善を余儀なくされた企業は、設備投資を控え、リストラに励む一方、金融機関の企業への貸し渋りがみられるようになった。
(2)日本経済の構造転換が大幅に遅れてしまったこと。東西冷戦が終わり、90年前後から旧ソ連・東欧・中国などが続々と市場経済に参入し、市場規模、競争相手が一気に2倍になるなど、経済のグローバル化に拍車がかかった。国境を超えた競争に否応なく対応せざるを得なくなる中で、日本経済は、日本型経営システム (「経営革新」参照)、税制、各種の規制などが足かせとなり、新しい変化に柔軟に対応できなかった。
(3)政府の経済政策の失敗。景気は当初、循環型不況と受け止められ、時間が経てば自律的回復可能と判断されたことから、本格的な景気対策に乗り出したのは92年8月からであった。また、7年余りで総額120兆円の経済対策がとられたが、従来型の公共投資を中心とするもので、期待されたほどの効果が生じなかった。

5. 日本経済の新生と今後の成長

 日本経済は、現在、歴史的な大転換期に入っており、これまで有効に機能してきた経済社会システムが効率的に機能しなくなっている。このため、99年7月に策定された2010年頃を目標とした新しい10ヵ年計画「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」(「経済計画」参照)では、今後、(1)多様な知恵の社会(2)少子高齢化、(3)グローバル化、(4)環境との調和、などについての諸課題にこたえることができる経済社会システムに変革していくことが必要であるとしている。また、こうした課題を克服して実現される実質経済成長率は、年2%程度(寄与度の内訳:資本が1%程度、労働力が若干のマイナス、技術進歩等が1%強)と見込んでいる。